風のある暮らし

東京から見知らぬ田舎へ。更年期の母ひとり、思春期の子ひとり(中学男子)の暮らし。

感染症対策生活に慣れるコロナ禍2年目の田舎暮らし

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誰も感染者のいないこの町で感染したら確実に村八分だよねっていうコロナ禍も1年もたてば収まっているだろうと思っていました。

なったら終わり、それが田舎で暮らすということ。それがまさかの2年目に突入。あくまでも私が住んでいる田舎に限って!の話ですが、コロナ禍2年目編をどうぞ。

コロナ禍2年目、田舎の集落は相変わらず厳戒態勢

2年目になり、県内の都市部では数人(10人超えたら大騒ぎ)感染者が出たりする日もチラホラあったけれど、町内からコロナ感染者が出ることはなく、コロナへの恐怖もだんだん薄れながらも皆さんしっかりマスクは着用。

 

とりあえず ”県外ナンバー、ダメ!絶対!”的な見えない標語が引き続き掲げられるわが集落。9割が高齢者なので仕方あるまい。

 

1年目同様、2年目も自治会関係の集まりは最低限に。それまではPTAに負けず劣らず召集されること多し。

 

春→親睦会、防災訓練、集落の掃除

夏→親睦会、集落の草刈数回

秋→集落ごとに集まって地区の催し物&打ち上げ(1日がかり)

冬→総会&宴会(1日がかり)

(上記以外には自治会の色んな委員会が存在して、私も問答無用でとある委員に。それはコロナの心配がいらないので、毎月その活動をするはめになっています。)

 

移住してきて1年目は頑張って全部参加してみたけれど、結果どれもこれも行きたくないものばかり。親睦会、長いっす。同世代、いないっす。子供、うちの子だけっす。

 

しかし、田舎の行事は自由参加など認められない。基本絶対参加。何が何でも参加。断れる理由は「子供のスポ少とか部活」のみ。

 

地区の催し物に参加するとか一言も言っていないのに、問答無用で参加リストに入れられる世界。

 

そんな世界がコロナで一変。召集されるのが年1回の草刈と掃除と総会のみに。正直、、やったぜ!と心底思いました。集落の皆さん、ほんとすみません。

 

2年目の夏に「今年は(県外の)お子さん達は帰ってくるんですか?」とそれとなくご近所さんに聞いてみたりしたけど、皆さん変わらず「まだ無理だよね~」というお返事。ということは、私も県外に出られないよね~。県外の友達呼べないよね~。

 

そんなこんなでコロナ禍2年目の集落のお盆も年末年始も、皆さん親戚身内が帰省することもなく静かに過ぎていきました。

 

コロナ禍2年目、田舎の中学校も普通にソーシャルディスタンス

子供もいつの間にやら中学生。小学校の卒業式も中学校の入学式も無事行うことができました。在校生も保護者も参加でき、何かが縮小されたのかもしれませんが、どちらも私にとって初なのでよくわからず。

 

小学校の卒業式は人数が少ないからか、卒業生が一人ずつ壇上で、小学校生活の思い出や自分の将来のことを語る場があり、いい経験ができたと思います。

 

中学生活はマスク着用くらいで、人数は小学校より多少増えたといえど他校に比べれば圧倒的ソーシャルディスタンス校。

 

部活や試合、その他の様々な行事も中止になることなく通常の学校生活が送れた様子で、日々楽しく通学していました。

 

コロナ禍2年目、田舎のPTA活動とか保護者の集まりとか

初・中学PTA。小学校の時もだけど、人数少ないのでほとんどの人が何かしらの委員になるしかない。はぁ~、、、ほんとこれは移住するまで考えていなかった。。

 

部の委員会はコロナ禍であろうと定期的に召集されたけれど、部の活動自体はコロナで結構なくなったりもしました。

 

保護者の集まりは「保護者会」ということで学校主体で学期ごとに行われたくらいで、それ以外での集まりや食事会とかは一切なし。

 

コロナ禍前がどうだったのか分からないけれど、元々中学校では保護者同士の付き合いが小学校の時ほど密ではない感じ。

 

ほんともうこれくらいで充分。コロナは早く収束してほしいけれど、PTAや保護者の付き合いはこのままくらい(正直ゼロでもいい)でお願いしたい。

 

この生活に慣れきって、保護者が関わる案件が復活するようになったらやっていけるのかな。。自信ないかも。。

 

コロナ禍2年目の田舎暮らしのまとめ

マスク生活にもすっかり慣れ、あまり違和感なく暮らす日々。むしろもう人前ではずっとマスクでいたい。

 

というのもコロナ禍前後くらいから私の更年期障害がひどくてメンタルも崩壊気味。それに加えて元々は人付き合い苦手なのに色々無理しすぎたのもあって、人間関係にも疲れ切って「誰とも会いたくない」と思うこともしばしば。というか、2年くらいずっとそう思っている状態。

 

コロナ禍1年目はコロナは怖いけれど、集まりに関しては「わ!ないんだ!ラッキー!」と密かに思い、コロナ禍2年目はコロナへの怖さは薄れ、集まりに関しては「よかった!今年もない!」と心底安堵していました。

 

こんなに長引くとは思っていなかった感染対策生活。感染したら村八分だよね、という緊張感は相変わらずだけれど、辛くなってきていた様々な集まりが中止になることは、私にとっては正直ありがたかったです。

 

子供がもっと小さかったら子供にとっては我慢の多いことばかりだったと思います。でも息子君はもう中学生。友達とオンラインゲームしてたら幸せな人。私と森に行ったりなんてもうしません。子供の成長は早い。。そして私も老いた。。

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もちろん、お盆や年末年始にいとこの家や関西のお友達と遊べないことは残念だったし、その時体験する機会というのを失ったのも事実。

 

でも学校生活や部活はなんの支障もなく活動することができたことでコロナ禍でストレスがたまるということはあまりなかったように思います。

‥‥‥‥

コロナ禍3年目の田舎暮らしに続きます。

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