風のある暮らし

東京から田舎へ。子供と2人でのんびり暮らしています。

ついに我が町にもやってきたコロナ禍3年目の田舎暮らし

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何度となく訪れる流行の波ももう7回目。我が町も傍観者ではいられない波が襲ってきました。

中学校はどうなる?!仕事は?!あくまでも私が住んでいる田舎に限って!の話ですが、そんなまさかまさかの3年目に突入したコロナ禍3年目編をどうぞ。

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コロナ禍3年目、ついに田舎の鉄壁の守りをウイルスが打ち砕く

第6波も落ち着き、感染者0が続いていたのどかな田舎町。しかしそれは嵐の前の静けさでした。

 

都市部からまたじわりじわりと感染者が増えてきていたころ、町内でも感染者が出たらしいとか出ないとか真偽不明の情報もチラホラ聞こえるように。

 

そうは言っても身近で感染したなんて話は全く聞かないし、大丈夫でしょ~と思っていたら、子供の中学からまさかの感染報告。

 

「感染者が出たので今すぐお子さんを迎えに来てください。」

 

のほほ~んとしてたら!いやもうコロナとかこの町にはきっと来ないよねとか思ってたら!

 

学校では初なのは間違いないので、先生方もてんやわんや。とりあえず全校生徒帰宅、対象生徒PCR検査。結果わかるまで全校生徒休校。

 

うちの子供はPCR検査対象ではなかったけれど、急にコロナが身近に。そして現実的なものになり不安も増大。

 

学校はすぐに再開できたけれど、その後も中学校や保育園、小学校、役所からも感染報告が相次ぐことになりました。

 

恐るべし第7波。こんな田舎町にまで切り込んでくるすさまじい感染力は噂通り。もう誰がなってもおかしくない。

 

相変わらずテレワークとは無縁の職場

どんなに町内で感染が相次ごうが私の職場は通常運転。コロナ禍初期はテレワークにならないか密かに期待したりもしたけど、絶対テレワークにならないからもうなんの期待もない。

 

そんななか、職場の人がコロナ感染。「ま、なるよね?」ってくらい仕事でアチコチ行ってたので驚きはなく、むしろ、「よく今まで感染しませんでしたね」という感嘆しかない。ちなみにこの人は町外の人。

 

アチコチ行ってたけど、戻ってくるときにPCR検査とか抗原検査とか受けたりもしないし、最初の頃は「なぜしない?!」ってすごい気になったけれど、3年目ともなると、「ま、受けない人だしね」と何も思わなくなる。

 

3年で私の意識もだいぶ変わったことを今書きながら改めて実感。人って3年も同じ状況下に置かれると、自然と受け入れていくものですね。

 

コロナ禍3年目の田舎で感染したらどうなる?

感染報告の第一報時は町内に衝撃が走りましたが、皆さん「もう仕方ないよね・・」と諦めムード。

 

これは、”第6波までよく持ちこたえた”ということと、”コロナ禍も3年目”というのがかなり大きく関係しているのでしょう。長い月日は人を変える。

 

逆に言えば、田舎でコロナになって許してもらえるまでには3年かかったということですね。

 

移住者が田舎でコロナに感染したら

コロナ禍初期はもちろん2年目の頃でも、感染したら村八分案件であることは住民の皆さんの話ぶりから明白でした。

 

こういう時、移住者の立場はさらに弱い。移住者が真っ先に感染した日には、後ろ指さされ町を歩けなくなる勢い。

 

地元住民が感染するのと移住者が感染するのとじゃ田舎での受け止め方はまた違ったりするのが現実。

 

「移住者だから地元のことを考えて行動しないから感染する」

「移住者のくせに持ち込みやがって」

 

ってな人もなかにはいます。そんな人ばっかじゃないですが。有事の際は、感染した移住者なんてもはや県外ナンバーと同じくらい異分子扱い。結局『よそもん』はずっと『よそもん』。

 

コロナ禍3年目の田舎暮らしのまとめ

こことは別の田舎町では、コロナ初期の頃、第一号となってしまったコロナ感染者は、周辺住民から相当な誹謗中傷を受け、その地にいられなくなり結局引っ越したとか。

 

その他にも感染者と周囲との軋轢が各所で発生したらしく、それを踏まえ、私の町では感染者が出た場合、学校や役所関係者の場合のみ施設名を公開し、その他の場合は一切公表しないルールになったらしい。

 

3年の時を経て、私の暮らす田舎もコロナをようやく受け入れられる感情になったことへの安堵は大きい。

 

これで、”感染したら終わり”とまで怯える必要はなくなりました。もちろん感染しないに越したことはないから感染しないようまだまだ気をつけようと思います。