風のある暮らし

東京から見知らぬ田舎へ。更年期の母ひとり、思春期の子ひとり(中学男子)の暮らし。

父のように我が道を行くタイプはきっと長生きすると思う理由

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 母が亡くなってから7年。一番変わったのは父ではないでしょうか。いろいろ間違っていたにしろ父にとっては最愛の母が亡くなり、精神的におかしくなるとか、どっと老け込むとかを想像していましたが、意外な変貌をとげました。

  

ひとりになった父

母の通夜や葬式や法事では、どんなにか母を愛していたのかそのたびに泣きじゃくりながらとうとうと語っていた父。

 

事情を知らない親戚の人たちやその他の人たちはもらい泣き。の片隅で複雑な気持ちでいっぱいで全然泣けない私。いろんなグチャグチャな思いをどうすることもできませんでした。

 

一番気がかりだったのは、『お母さんが亡くなったのは自分のせい』と父が自分を責めて耐えきれなくなること。

 

かといって、東京から遠く離れた実家にそんなに頻繁に帰ることもできません。母が亡くなる前から続いていた調停がこの頃に決裂して、離婚ができずに私が離婚訴訟を起こして裁判突入という展開になったので、さらに父のことを考える余裕がなくなっていました。

 

最初の1年は父に対する私の気持ちが整理できずにいたので、自分から積極的に父に連絡をとることすらできずにいたというのも正直な気持ちです。

 

ひとりになった父。どうなるんだろうと心配しましたが、どうやら父は100歳まで生きるタイプだったようです。

 

一番の救いとは

それは、父の性格です。心配していた『自分を責めること』をしませんでした。正確にはできなかったんだと思います。防衛本能とでもいうのでしょうか。それを認めてしまうと生きられないと潜在意識で分かっていたんだと思います。

で、父の脳はどうしたかというと。

「お母さんはあんたたち子供のことばかり心配して、心配しすぎですごいストレスを抱えて、そういうので病気になって亡くなった。」

・・・・・え?!・・・・え?!(2回心の中で繰り返しましたよ)

 

ないとは言いません。私も姉も苦難ばかりで。でもでも、いろいろすっ飛ばしてるけど父の頭の中はそうなりましたか?!もちろん何も反論はしませんでした。私にできることは黙認しかありません。

 

母の治療法のことについては、母が亡くなって以来、私も父も一度も話題にしたことはありません。私から話題にすることは今後も一生ないと思います。

 

父はいまだに、どんなにか母を愛していたか、今でもどんなにか自分が辛いかをとうとうと親戚や職場の人に語っているようです。そうやっていい意味で悲劇のヒロインになりきれる人って実は幸せなのでは、とひそかに思っています。

 

二番目の救いとは

それは、父が定年後も仕事を続けていたことで、今もなお続けています。これが、父が正気を保てた大きな要因だったと思います。

 

家にひとりでふさぎこんでいたらあっという間に精神的にまいってしまっていたでしょう。

 

三番目の救いとは

それは、私の子供の存在です。母が生きていたころは、孫に全く興味がないというかなりレアな祖父でした。それが母が亡くなり、1年ほどたったころ、私の子供の存在にようやく気付いたのです。

 

「じいちゃん!じいちゃん!」とじいちゃんに抱きつくかわいい孫を抱きあげる優しいじいちゃん。

 

CMのような光景に我が目を疑いました。あんなに興味ゼロだったのに!まるで別人!普通のじーちゃんに見える!

 

母が亡くなり、「じいちゃん!大好き!」と無条件になついてくれる孫の存在が父の心を癒したのは間違いありません。誰かに必要とされている、という実感が父を救ったんだと思います。

 

父の現在

何が変わったかって、食生活です。

 

「僕はもう健康なんてどうでもいいから、これからは肉も魚も卵も乳製品もバンバン食べるから。」

 

「やっぱりすき焼きには牛肉だよね。」

 

「これ?職場でもらったGODIVAのチョコレート。おいしいんだよね。」

 

・・・・。(もはや絶句です)

 

しかも、めっちゃいいお肉やめっちゃいい卵を厳選してるようす。しかもしかも、暴飲暴食するわけじゃなくて、生協の配達も頼んで野菜もちゃんと摂ってるからむしろバランスよくなっています。

 

しかもしかもしかも、そこにプラス漢方も飲んでるからもう最強なんでは?え?健康どうでもいいんじゃなかったの?

 

混乱。大混乱。なんだったんだ。あの日々ってなんだったの?!お母さんの最期ってなんだったの?!

 

私「私ってさ、学校の給食食べなくてお弁当だったじゃん?」

 

父「え?そうだっけ?あ~お母さんがなんか言い出してそんなことやってたね。」

 

!!!!!!

 

最初は認知症かと思いました。でもそうじゃないんです。その他にも自分が子供に対して厳しく律してきた記憶だけがことごとくすり替えや抜け落ちが起こっているようでした。

 

最初は気持ちがかなりザワつきましたが、そんなことをいまさら問いただしたところで誰も幸せになりません。すり替えたことで父は今生きているんだから、むしろこれでよかったんだと思うようになりました。

 

70歳を超えた父は今、仕事を毎日しつつ、休日には山登りにいったり忙しい日々を送っているようです。東京にいたころよりは孫に会うのも年に1回だったのが、年に3回くらいに増えました。

 

食事も簡単なものを自炊しているようです。野菜もお肉もお魚も乳製品もバランスよく食べて健康そのものです。

 

自分の生きたいように生きてきた父。きっと長生きして、孫の成長を見届けてくれると思います。おじいちゃんが大好きな子供もそれを望んでいます。

 

孫のことをいつも心配していたおばあちゃんもきっと天国でほっとしていると思います。