風のある暮らし

東京から見知らぬ田舎へ。更年期の母ひとり、思春期の子ひとり(中学男子)の暮らし。

心を病んだ母との確執。中学・高校は暗黒の時代でした(4)

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両親が全て決めた大学を言う通りに受験した私。滑り止めとして受験した聞いたこともない女子大合格したときに、彼らの言動にはもう慣れていたはずの私でも驚くような言葉を聞かされます。

 

父のびっくり発言

「この女子大を選んだのは私なんだから、合格したのは私のおかげだよ。だから私に感謝してくれないとね。私にありがとうといってもらわないと。」

 

・・・・・・・・・・・・はぁ?!

 

親の献身的なサポートによって勉強が頑張れて、それが合格につながって、「お父さん、お母さん、私を支えてくれてありがとう!合格したのはお父さんお母さんのおかげだよ!」「いやいやそんなことないよ。お前が頑張ったからだよ。おめでとう!」っていう流れだっけ?

 

じゃないよね?そういう流れじゃ全くないよね?そもそも献身的なサポートとかもなかったよね?その女子大を選んだのが父だから合格したのは父のおかげ?・・・・・さすが神。私にはその思考回路を理解することはできない。

 

「あ、ありがとうございます。」

 

全然理解できないけれど、「ありがとうと言え」と言われているのは理解できたので、とりあえずお礼の言葉は伝えました。

 

母のびっくり発言

「名前書いたら受かるような女子大でしょ?誰にも言えないわ。」

 

・・・・・・・・・・・・・はぁ?!

 

あなたたちがリストアップしたんじゃないの?!そんなこと私に言われても!私だって聞いたことない女子大でしたよ。でもあなたたちがここを受けろと言ったんじゃないか!

 

とりあえず、母の言葉は無視しました。

 

私は滑り止めの女子大に合格はしましたが、父からも母からも「おめでとう」という言葉も「頑張ったね」という言葉もありませんでした。

 

スランプ

大昔すぎて時系列を覚えていなくて話があっちこっちに飛びますが、女子大の受験が一番最初で、その後に偏差値60~65の大学、4大学8学部くらいの受験が続いたと思います。

 

それぞれ過去問にも取り組んだとはいえ、なにせ独学。女子大の次の受験であまりのできなさに唖然茫然愕然。

 

そこから全く勉強が手につかなくなってしまったのです。もう受験は始まってるわけですから今さらジタバタしても遅いのですが、そうはいってもギリギリまで頑張らないといけないのにできない。手も動かないし頭も心もフリーズ。どうしたらいいか分からない。

 

完全にスランプに陥った私を見て。

 

「勉強しないとあんたなんてどこも受からないわよ!どうするの?!浪人なんてさせないからね!大学落ちるなんてありえない!恥ずかしい!お父さんがかわいそう!ギャーギャーギャー!」

 

わめく母。かわいそうなのは私なんですけどね。

 

父はというと、無視、復活。いや、前より完無視ですよね。全く見えてませんよね、私のこと。あれ?私消えました?っていうくらい。黙って見守るとは別物だということは明らかでした。

 

母にしても父にしても。立派な役職につく父の娘が大学受験失敗なんてもう汚点でしかないわけで。

 

あぁ、また元に戻っただけだ。期待外れの子供には用はないんだから。短かったなぁチヤホヤ期。

 

なんというか。子供が精神的に一番大変であろう時に、助けてくれるどころか追い打ちをかける親ってほんといらないと思います。

 

うちの場合は、助けてくれるはずがないことは分かってはいたので予想通りといえば予想通りの展開ですけど、スランプの時に両親があの人達っていうのはやっぱりキツイものがありました。 

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                  学校帰り。子供はどこでしょう。

 

全ての大学の受験が終わる

正確には、受験リストのなかで最終日程だった1大学2学部は受験しませんでした。『やめさせてください。お願いします。』と、本気の土下座をしました。偏差値65ですから。もう記念受験とかできるほどの精神状態ではなかったのです。

 

『もう私はだめだ。もうどこにも合格した気がしない。終わった。私の人生。』ネガティブ思考総動員で合否の結果を待つこととなりました。

 

 あと1回・・・か2回続きます!

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