風のある暮らし

東京から見知らぬ田舎へ。更年期の母ひとり、思春期の子ひとり(中学男子)の暮らし。

玄米中心の健康志向の食生活(4)週単位で調整する

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それなりに食生活のバランスも自分なりにとれるようになった社会人・・8年目。ずいぶん飛びましたが、その間をあまり覚えていないということは、さして問題なかったのだと思います。同僚と外食する頻度が増えたくらいでしょうか。

 

いや、朝ごはんが毎朝ケーキという時期もありましたが・・健康は害していないので、ここでは割愛します。

 

オーガニックにはまる

最初は化粧品がきっかけでした。とにかく何をつけても顔から粉が吹き出すわ、ただれるわで、皮膚科に行っても「ストレスでしょう」とステロイドを処方されるだけ。そのうち頭皮にも湿疹ができ、髪も洗えない状態に。

 

ずっとケミカル使用だったのが、肌トラブルで無添加に移行するも全く改善せず。これはいかん、とネットであれこれ調べまくりました。そしてたどりついたのがオーガニック。

 

化粧品、シャンプー類をオーガニックに総入れ替えしてほどなくすると、ずっと悩まされていた肌トラブルから解消されたのです。

 

オーガニックってすごい!

 

ここからオーガニックに目覚めた私。きれいな肌を作るには内面も重要なんだ、当たり前なことに初めて気づきます。

 

高校卒業から12年間、ダイエットの時期はあったものの、体の健康のための食事など一度も考えずに生きてきたのです。

 

むしろ、健康のための食事なんて悪、ぐらいに思っていました。そんな私が30歳にして、健康のための食生活に目覚めることになったのです。

 

自らストイックな食生活に足を踏みいれる

健康的な食事をするなら、普通に三食和食をほどほどに食べていればよかったんだと思います。

 

けれど、私はそっちには行かず、こっちへ行きました。

 

抗酸化とかオメガ3とか酵素とか精製したものを食べないアンチエイジング的な食生活。

 

いや、これが間違いではないのです。むしろ大事なことです。取り入れるかは別として、知っておくべきことだと思います。ようは「程度」の問題です。

 

精製したものがよくないことは、幼少期の食生活からなんとなくは知っていました。それは白い食品と言われる、白米、白砂糖、小麦粉ですね。

 

実家では、玄米、黒砂糖、全粒粉に代わっていたものです。高校卒業後に白い食品をバンバン摂っていましたが。

 

アンチエイジング的に白米がだめなら玄米ということになりますが、玄米は面倒でおいしくないというイメージがこびりついていたので、「じゃお米は食べなきゃいっか」という間違った結論に。

 

その当時は家庭用の精米機もレアだったので、分づきにするという発想は浮かばなかったんですよね。あったとしても、一人暮らしで仕事もしてる身だと面倒だし、やはり食べない選択をしていたと思います。

 

これにプラスされたのが、肉や魚といった動物性たんぱく質は摂らずに、豆腐や納豆などの植物性たんぱく質を摂るという方法。

 

でもって、そのころローフード(生食)も流行っていてこれに乗っかった結果、私の食事はこうなりました。

 

お皿いっぱいの生野菜の上に豆腐とわかめ。そこに黒酢と白ごまとフラックスオイルを混ぜたドレッシングをかけて食べる。

 

のみです。のみ。毎晩毎晩毎晩これのみ。

 

朝は野菜ジュースを飲んで、お昼はどうしてたか思い出せないのですが、何かを持って行ってたような。果物だったでしょうか。

 

徹底的にストイックに。一切の妥協も例外もない。どこかで聞いたフレーズですよね・・・そう。やってることは父のそれと全く一緒。

 

違っていたのは、家族がいなかったということと、たまには友達と外食はしていたこと。例外はあったけど、徹底的にストイックに実践はしていたのです。

 

やっている最中は自分の食事内容を信じ切ってやってるわけです。私、健康的。みたいな。食は盲目、といった状態ですね。

 

健康になると信じて続けた結果、体調を壊す。イライラする。全然健康にならない。これって・・・父がやってたこととまるで一緒じゃん!とようやく気付く。

 

健康的な食生活を楽しんでる、と思いながらも本当はお肉だってお魚だって甘いものだって食べたかったんですよね。やせ我慢してただけで。

 

私の結論

がんじがらめの食生活から自分を解放し、白米もお肉もデザートも食べるようになりました。でもほどほどに。外食したり暴飲暴食した日の翌日は、オーガニックを取り入れてシンプルな食事で胃を休ませる。

 

1日1日で考えるのではなく、1週間、無理な時は1か月の単位で健康的な体を維持することが私には一番合っていると長い年月を経て分かりました。

 

 紆余曲折あって、ようやく「真の健康」とは何かを真剣に考えるように。たくさん失敗もしたし間違えもしました。でも幼少期も含め、たくさん悩んだからこそ今の自分があります。

 

押しつけではあったけれど、「これが家族のためだ!」と信じて暴走してしまった父の気持ちも今なら少しはわかります。反面教師ともなっているので、今となってはいい経験でした。

 

自分の意思ではないのに、大変な食事を毎日作り続けてくれた母には、味や見た目は別として(しつこい)本当に感謝していますし、同じ母親として尊敬もしています。

 

私たち家族に足りなかったのは、「コミュニケーション」というとてもシンプルで基本的なこと。

 

コミュニケーションあっての家族。家族あっての食生活。そしてその食生活を通じて家族は家族でいられるということ。

 

家族が笑顔でいられる食卓を私はこの先もずっと作っていきたい。

 

 ゆるく楽しく健康的に。たまにはジャンクも食べちゃいますよ。というスタンスでこれからもやっていこうと思います。

 

 

今回の記事で私の食生活の歴史はひとまず完結です。読んでくださってありがとうございました。

 

 また遊びにきてもらえると嬉しいです。

 

あおか