風のある暮らし

東京から見知らぬ田舎へ。更年期の母ひとり、思春期の子ひとり(中学男子)の暮らし。

自分の家庭環境がほかの家とは違うと気づいたのはいつ?

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未就学児の時は自分の家庭環境がおかしいことを認識していなかったと思います。親戚づきあいもないしテレビも見ていなかったからほかの家庭環境を知る機会が全くなかったんですよね。

 

愛のあふれるホームドラマのようなエピソード

それは私が小学生のときに突然やってきました。友達がこんなことを言ったのです。

 

「昨日な~お父さんとお母さんとお姉ちゃんと私でじゃんけんして勝った人からいちごをとっていってな~お父さんずっとじゃんけん負けて全然いちご食べられなくてみんなですっごい笑った~」

 

・・・・・・・・・。な、な、なんじゃそりゃ?!どういうこっちゃ?!

 

私の知っている”お父さん”という存在は神。崇め奉るべき相手。じゃんけんとかするような立場にない人のはず。

 

そいでもって、いちごとやらの果物はうちでは神しか食べることが許されていないお供え物。私も姉も母も果物を食べる父をいつも見ているだけ。贅沢品だったから平民格下の私たちは食べられなかったのか今となっては不明。

 

とにもかくにも。神がじゃんけんして負け続けいちごが食べられないなんてことは完全にファンタジーの世界。しかもそんな神を笑うなんて恐ろしや~。うちの世界であれば神への冒涜とみなされ血祭の刑に処されます。

 

でも友達はとても楽しそうに嬉しそうに話をしています。血祭じゃないんだ。笑っていいんだ。彼女の家ではそれが許されるんだ。お父さんとじゃんけんとかするんだ。

 

というか、家族みな平等なんだ・・・。

 

このことを知ったときの衝撃と言ったら。雷がおちるくらい。その後いろんな友達の家庭の話を聞くにつれ、”うちが変わってるんだ。うちがほかの家と違うんだ。うちがおかしいんだ。ほかのお父さんは神じゃないんだ。”ということを知りました。

 

心に芽生えた新しい感情 

みんな違ってみんないい。

 

いや、無理っす。そんな風には思えなかったっす。

 

 たぶんこのあたりから両親への反発心は生まれたんじゃないかと思います。それまでも父に対してはマイナスの印象しかありませんでしたが、父は神だと言われて育っていたのでものすごく従順ではあったんです。他を知らなかったから。

 

もし私が小学校にも通わず家の中に閉じ込められていたら、ずっと気づかなかったんじゃないかと思います。自分の家が異常であることに。それしか知らないと人ってそれが”普通”で”受け入れるべきこと”なんだと認識してしまう気がします。

 

他を知ってからの私は自分の家と友達の家をいつも比べていました。自分の置かれている状況をものすごく悲観したし恨んだし、友達をうらやんだりもしたし。それが火種となり最終的には反発心も全開になったし。

 

でもそのおかげでマインドコントロールにもかからなかったし(姉はかかってましたね・・)、何よりも”こっから絶対抜け出してやる!見ておれ!!”と闘争心が芽生えたわけです。

 

人と比べて私は救われた 

人と比べることはいけないとよく言うけれど、状況によっては比べることでプラスに働くこともあるのかも。

 

自分の境遇を諦めて受け入れてあのままずっとあそこにいたら、今頃の私は完全に病んでただろうなと思います。

 

”うちはほかの家と違う”ということを知って自分の境遇を呪って逃げ出すことができてほんとによかったです。

 

ま、どっちにしたって”家庭運”には恵まれなかったけど。(気にしてるじゃん!)

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