風のある暮らし

東京から田舎へ。子供と2人でのんびり暮らしています。

家は監獄。子供時代の私と姉の一番楽しかった予想外の思い出とは

スポンサーリンク

私と社会人になってから、はそれぞれに同じ質問をしたら、まさかの同じ答えが返ってきてショックだったそうです。

子供にとって大切な思い出は親には予想外だったりする

母の質問「小さかった頃、何が一番楽しかった?」

 

私の答え「お母さんとお姉ちゃんと家出したこと!」

 

母、しばらく絶句ののち。

「お姉ちゃんも同じこと言ってた・・・。家族で色んな所に連れて行ったのに!ふたりとも同じこと言うなんて!」

 

姉の答えを知らずに答えたけれど、あぁ、やっぱりそうだよね、となんだか妙に嬉しかった私。

 

『楽しかった!!』と声を大にして言えるほど、しっかり覚えている幼少期の思い出は3人での家出だけです。

 

母が言うように色々連れて行ってもらったのかもしれませんが、そのことは何一つ覚えていません。子供ってそんなものですよね。

 

こんなに楽しい家出がこの世に存在するのか

私はまだ幼稚園の年長でしたが、今でも鮮明に覚えています。母が姉とおそろいで作ってくれた青いステッチのある水色のポシェットをななめ掛けにして、お気に入りのワンピースを着て、ぴょんぴょん飛び跳ねて、ワクワクした気持ちでいっぱいでした。

 

出かけに母が泣きながら便箋に父への手紙を書いていたことも覚えているので、幼稚園児ながら『家出』を理解していたと思います。

 

夕食に食べたものも覚えています。ハンバーグとエビフライがのったお子様ランチ。父がいたら絶対に食べられないお子様ランチです。

 

3人で遊園地にも行って、それから小さな宿に3人で泊って、家では禁止されていたテレビも見て。姉とキャーキャーはしゃぎました。父のいる家では、はしゃいだり大声をだしたりすることは禁止されていたのです。

 

『お父さんは神様だから絶対に逆らってはだめよ』と常日頃から母に言われていたので、父のいる家ではいつも緊張状態で、私にとっての家は監獄のような場所でした。

 

あとから思い返しても、神様って!え!は?と突っ込みたくなりますが、できるだけ私達がひどい目に合わないよう母の精一杯の予防策だったのだと思います。

 

楽しくて楽しくて、一生この時間が続けばいいと思いました。でも現実はそうもいきません。

 

f:id:aokamizu:20180410000155j:plain

一生キャラ弁づくりは無理。もはや味より見た目。

 

家出終了

当時の母には自由になるお金はほとんどありませんでした。全て父が管理していたので。その家出の資金も、母の母(私の祖母)の形見の真珠のネックレスを質に入れてようやく手にしたお金でした。

 

そのお金も3日ほどで尽きたそうです。母には帰る実家も頼れる友人もいない土地だったので、戻れる場所は結局父のいる家しかなかったのです。

 

『そろそろ帰ろうか。』という母の言葉に、私も姉も『えー!嫌だー!なんでー!』と猛反発。

 

困った母は、『明日はお姉ちゃんのピアノもあるから帰らないとね。』え?ピアノ?というなんとも現実的な理由で私達を説得して家に戻ったのです。

 

家に戻ってからのこともはっきりと覚えています。父がすごい形相で私達にかけよってきました。手には電話帳を持っていました。一軒一軒に線を引いて、しらみつぶしに行方を捜して電話をしていたようです。

 

叩かれる!と思った瞬間、ワンワン泣きながら私たちを抱きしめる父。え?この人泣いてる。はて。私はどうしたらいいの?と固まる私。ふと一緒に抱きしめられてる姉を見ると、姉も泣いてる!さらに傍に立ってる母を見ると、母も泣いてる!

 

えーと、じゃあ、私も泣こう。ここは泣くところなんだね。よし。『えーん!』と私も涙を流しました。幼稚園児だったからこそ、その場の雰囲気に乗ることができたんだとは思います。と、幼き自分をフォロー。

 

家出の効果はまるでなかった

この後のことはもう覚えてないんですが、確か『お父さんは変わる』とかなんとか言ってましたが、3日坊主ですぐ神様レベルに戻ったと思います。人ってそんな簡単に変われないですからね。

 

私にとっては最高の思い出 

そんなのが一番楽しかった思い出なんてかわいそう、と思う人もいるかもしれません。でも、私にとってはこの思い出は大切な思い出です。

 

あんなにも純粋に心から楽しいと思える時間が、一瞬でも子供時代の私にもあったんだなぁと思えるのです。

 

それに、あの思い出があるから母の本当の姿を忘れずにいられたのだと思います。家出したころは、母はまだ母のまま、優しい母でした。

 

変わらなかった父の元で、優しかった母の心はしだいに壊れていき、私が小学生になるころには別人のようになってしまったのです。