風のある暮らし

東京から見知らぬ田舎へ。更年期の母ひとり、思春期の子ひとり(中学男子)の暮らし。

私が子供に家のお手伝いはさせたくない本当の理由

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保育園でも学校でも『お手伝いをしましょう』と子供たちに指導するところが多かったのですが、私は『お手伝い』という感覚に違和感がありました。

 

意識の違い

子供が年中児のときに私が限界を迎えて、『自分のできることを見つけてやってほしい』ことを子供に伝えたのですが、それは『手伝ってほしい』というわけではありませんでした。

aokamizu.hatenablog.com

 

『手伝う』は常に私がメインで、子供はいつもサブ的な存在になります。それは、本来私がやるべきことだったことに子供が力を貸してくれる、もしくは、代わりにやってくれる、ということになります。

 

これってなんか変だと思うのです。子供であってもその家に暮らしている一員です。その家に住んでいるのなら、どんなに小さなことでもいいからできることをやるのは当然だと思うのです。念のためですが、できないことをやれ、ではないですよ。

 

 子供もこの家に住む一人として、『手伝い』という感覚ではなく、主体性をもって動いてほしいと思ったのです。

 

分かりやすくいうと『家事の分担』です。比率は圧倒的に私の方が大きいのですが、『手伝い』と『分担』では意識が全然違うと思ったのです。

 

子供の仕事

子供が自ら見つけることもあれば、私がお願いすることも。私がお願いするときは、「私はこっちをやるので、あなたはあっちをお願いします。」と、私とは別の家事をやってもらうようにしていました。

 

最初は簡単にやり方を教えて、「あとはあなたにお任せするから困ったら声をかけてね」とその間はできるだけ子供と離れて私は自分の仕事をします。

 

見ているとどうしても口出ししてしまい”子供に任せる”ことにならないのと、子供も自分で考えずにすぐに「こうでいいの?」と私にいちいち確認しようとするからです。

 

子供が小さい時ほど、子供の仕事を私から手助けすることはしませんでした。ただ、子供が「お母さん、これ手伝って」とお願いしてきたときには必ず助けに入るようにはしました。

 

私はのんびりお茶を飲んで、子供だけに家事をさせることは基本的にはしません。子供がそこに理不尽さを覚えると『やらされている』という意識が芽生えてしまうからです。


例えば、今は週末の掃除機かけは、子供は1階の台所以外の担当で、私は2階と1階の台所担当になっています。いつも子供に声をかけて同時にスタート(掃除機は2台あります)させるようにしています。


ただ、いつまでも子供がスタートさせないときは、私は先に終わらせて、子供が掃除機をかけている間はのんびりさせてもらうことはあります。

 

子供への感謝の言葉

子供が家のことをやってくれた時は、『家のお仕事をやってくれてありがとう!助かるわ~』と必ず伝えるようにしていました。

 

日課になっていること、例えばお風呂のお湯をためて止める、といったようなことであれば、ときたま『いつもありがとう。あなたがよく動いてくれるから助かるわ~』と伝えるようにしたり。

 

でも『お手伝い』という言葉は滅多に使うことはありませんでした。

 

うまくいかない時は

そうはいっても、うまくいかない時もありました。そういう時、できた母親なら“見守る”とかなのでしょうが、私は沸点の低い心の狭い人間だったので、見守るなんてできません。

 

「え?あなたもここに住んでいるのに何もやらないの?私が全部やらないといけないなんておかしくない?じゃあ私もやるのや~めた。ひとりでなんてできないし全部や~めた。」

 

はい、分かりやすく、脅しました。なんという母親でしょうか。最初は“真剣なお願い”だったのに、1,2年もたてば、即脅しにはいるという変貌ぶり。

 

こうなると子供も「ごめんなさい~!僕もできることをやる~!だからやめるのやめて~!」となるわけですが、全くもっておすすめできない子育てです。

 

でも、『お母さんが家のことを何もかもやって当たり前』とはどうしても思ってほしくなかったのです。

 

9歳になった今

最近は子供の仕事を私から「これやっとくよ」と一言言ってから手を出すことがあります。小さいことだと、脱ぎっぱなしのパジャマを脱衣室にもっていくとかですね。

 

そうすると、子供は自分がやるべきことを私がやってくれたという感覚になるので、どんな小さなことでも「ありがとう~!!」と言ってくれるので、私も気持ちよくサポートできます。

 

私が出かけに準備が間に合わなくてアタフタしていると、「これは僕がやっておくから、お母さんは自分のことやっちゃって」と、いつの間にか頼もしい人に。

 

買物から帰ってきて私がご近所さんと立ち話をしていると、車のなかの荷物を何も言わなくても全部家に運んでくれていたり。

 

私が体調を崩した時には、私の着替えの用意をしてくれ、布団を敷いてくれ、スープを作ってくれたりするように。

 

平日の朝は私がバタバタしているからか、いつのまにか自分の朝ごはんの洗い物をするように。土日は頼んでも「え~お母さんやっといて~」と言ってしてくれませんけどね。

 

子供の中には『自分もこの家に住んでいるのだからできることをする』という意識は根付いているようです。

 

だからといって、“絶対”はありません。『今日は疲れてるからやって~』『今日はどうしてもこれをやりたいからあれやっといて~』はOKなのです。むしろそれが健全です。

 

脅した時期もありましたが、意識が根付いた今、できないときはできないでいいのです。それは家族なので甘えていいのです。

 

私も「お願い~あれやっといてほしい~」と子供に甘えることもあります。家庭内での助け合いです。

 

身内であるからこそ、一緒に住む相手がやって当たり前ではなくて、助け合うという意識を持ってほしいのです。

 

いつまでもお手伝い感覚の大人

よく思うのですが、子供の頃からずっと『お手伝い』の感覚でいて、大人になってから誰もがスムーズに意識を変えられるのかなということ。これはその人の性格によるところが大きいとは思います。

 

子供のころからお手伝いが好きで、大きくなって自然に主体性をもって家事ができるようになった人。

 

子供のころからお手伝いは全くしなかったけれど、一人暮らしなどがきっかけで主体性をもって家事ができるようになった人。

 

子供の頃のお手伝いは関係なく、大人になっても結婚しても子供ができてもずっとお手伝い感覚のままの人。

 

他にも色々なパターンはあると思いますが、最後のパターンは女の子であっても男の子であっても、本人もパートナーも大変だなぁと思います。

 

でも残念ながら、この最後のパターンの旦那さんバージョンをよく話に聞きます。そういう人は子供の頃からお母さんがなんでもやってくれて、そしてそれが当然だと思って育ってきたのではと思うのです。

 

もちろん、そういう環境で育っても、主体性をもって家の仕事をできる人もいると思います。

 

でも、大人になってしまってから意識を変えるのってかなり大変です。そう思うと、子供の頃の環境で『家事』への意識は多少は変わるのではないかと思うのです。

 

とはいっても、子供はまだ小3なので、結果をお伝えすることはできません。大人になったら何もしなくなったというパターンもありえます。

 

でもそうだとしても、一緒に住む相手と助け合って暮らしていくという意識はこのままずっと消えないと信じたいのです。

 

いつも尽くしてくれるパートナーだったら、尽くしてくれることを当たり前だと思わず感謝をする。パートナーが大変な時や病気の時は、当たり前のこととして自分が全てを担う。

 

自分がパートナーを大事に思って行動していれば、パートナーも自分を大事に思ってくれるはずです。きれいごとかもしれませんが、誰かと一緒に住むというのは、それが一番大切なことだと思います。

 

離婚している私が言うのも全くもって説得力ありませんね。ちなみに元夫は何もしない人でしたが、結婚と同時に私は仕事を辞めたので、家事は全て私が担っていました。そのころは“かわいい奥さん”を目指していたので、こんな理屈っぽいことは言っていませんのでご安心を・・・。

 

大事に思い大事に思われる、子供にはそんな大人になってほしいと思います。