風のある暮らし

東京から見知らぬ田舎へ。更年期の母ひとり、思春期の子ひとり(中学男子)の暮らし。

子供の体験は量より質。10を制覇するより1を味わう大切さを知る

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子供にはいろいろ体験させたいと思いますよね。プレイパークに行ったりイベントに行ったり。たくさん体験させることが子供のためだと思い込んでいました。

  

東京では様々な体験イベントが頻繁にあって、子供が保育園児のころは、私もよく連れて行ったものです。

 

科学館でのイベントや学祭での幼児向けのイベントなど、その多くは子供が喜ぶ体験系の実験型イベントでした。しかも格安かだいたい無料。

 

ガイドをもらったら展示ブースを確認して、子供にどれが興味あるか確認。

 

「せっかく来たんだからひとつでもたくさんのブースを回りたい。回りきりたい!」

 

なんでしょうね、この使命感。TDLでの「1つでもたくさん乗りたい!」とファストパスを走って取りに行くのと同じ感覚ですね。

 

1つが終わったら次へ、それが終わったらまた次へ。人ごみをかき分けて、ブースからブースへとどんどんはしごしていきます。

 

「今日もたくさん体験できた~」という勝手な達成感に自己満足していました。

 

帰り道に子供が「楽しかったけど、〇〇のブースでもっとやりたかったー時間が足りなかった。」というようなことをよく言っていたのに、「そっかあ」と返していただけで、まぁでもそういうもんだしな、とスルーしていた私。

 

でもある日のイベントで、最初に入ったブースから子供が動かなくなったのです。そこは自分でラジコン車を組み立てて動かせるようにするというどこかの大学のブースでした。

 

対象は小学生で、保育園児には少しレベルの高いものでしたが、その大学のお兄さんは快く子供の指導を引き受けてくれました。かなり時間がかかるかもとお兄さんに言われて私が躊躇していると、子供が宣言しました。

 

子「今日はこれをずっとやる」

 

母「えっ!他のは?コレは?コッチは?できなくなるよ?いいの?(焦る母)」

 

子「うん。いい。これだけをやりたい」

 

母「一応他のも見てみたら?ほんとにいいの?(しつこい)」

 

子「いや、他はいい。」

 

見事なまでの強い意志に、母はようやく口を閉じました。

 

え~他にもいっぱいあるのにこれだけなんてもったいない~と心の中で思いながら、子供と子供に教えてくれているお兄さんの様子を少し離れたところから眺めていました。

 

子供はお兄さんに教えてもらいながら黙々と、それは黙々と2時間以上は作っていたでしょうか。何度も失敗をやり直しては、ラジコン作りに没頭していました。

 

後からきた親子連れはどんどん先に出ていき、子供とお兄さんだけの世界がそこにはありました。

 

出来上がったときの喜びはそれはもうひとしおです。お兄さんと喜び合う子供を見て、1つしか体験しないなんてもったいないと思った自分がなんだか恥ずかしくなりました。

 

帰り道にラジコンを抱きしめながら子供が私に言いました。

 

子「お母さんありがとう!」

 

母「なんで?」

 

子「お母さんは他にも行きたかったのに、僕がここだけがいいって言ったから。ずっとラジコン作りさせてくれてありがとう!」

 

子供のキラキラした目がまぶしすぎて、「ちょっとでもたくさん」と強欲だった自分が浄化されていくようでした。

 

ありがとう、を言うのは母のほうです。子供の姿から大事なことを学んだのですから。そして今までごめんね。

 

私は、たくさん体験すれば、たくさん何かが得られると思っていました。まるで、それによって経験値を積んでいるかのような錯覚におちいっていたのです。

 

でもそうじゃなかった。いくらたくさん体験しても、心と体と頭が味わってなければ、それはただの作業でしかなかったのです。

 

やみくもにいろんな体験をするのではなく、ひとつだけをじっくり味わうことで初めて、その体験が生きるのです。それに気づいてからは、せわしないイベントにはあまり行かなくなりました。

 

移住してからは、そういった実験型のイベントはもちろんありませんし行っていません。

 

体験はわざわざ遠くに行かないとできないものではありません。誰かが準備してくれないとできないものでもありません。

 

ごく身近なところにこそ新しい発見があり、新しい体験につながることを子供が教えてくれました。

 

日々の暮らしの中で、じっくり味わう体験をしています。