風のある暮らし

東京から見知らぬ田舎へ。更年期の母ひとり、思春期の子ひとり(中学男子)の暮らし。

非日常依存症からの脱却。テレビ視聴をやめるメリットとは

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移住してテレビを見るのをやめました。テレビに費やす時間があるなら、別のことをしたいと思うようになったからです。

 

あれだけおひとり様タイムの心の友だったのに、ビールとともにあっさりとお別れしました。

  

メリット1: 自由時間が増えました。

 

単純明快ですが、テレビを見ていた時間まるごとフリーになったのですから、やりたいことをやりたい放題です。

 

テレビを見ている時間は自由時間のようですが、そうではありません。その時間はテレビに脳は支配され、体は拘束され、実は不自由きまわりない状態なのです。

 

やりたいことも、やるべきことも、考えるべきことも、何もかも先延ばしにして、テレビに自分の時間を捧げます。

 

ながら勉強、ながら作業のできる人もいますが、私にはそんなモチベーションなどありませんでした。

 

今はテレビのためではなく自分のために時間を使っています。手仕事したり、本を読んだり、ブログ書いたり。

 

インプットしたりアウトプットしたり。テレビを見ていた時よりもはるかに頭を使っていますし、何より楽しいと実感できます。

 

メリット2:無駄な欲望がなくなった

テレビを見ていると、番組内容ももちろん、CMによっても、購買意欲や食欲など色んな欲求を刺激されます。おいしそう、おなかすいた、食べたい!買いたい!欲しい!

 

一種の洗脳のようですが、きっとそうなのでしょう。番組で有名タレントが薦めた商品が翌日スーパーの店頭から消える、というような現象が実際に起こるのですから。

 

私自身、物欲は元々あまりなかったのですが、テレビによって食欲は明らかに刺激されていました。頭はからっぽなのに、こういった欲だけには反応するのですから怖いものです。

 

テレビを見なくなると、この一方的な欲望操作から解放されました。本当はお腹なんてすいていないのに、脳を刺激され、「おなかすいた!食べたい!」と勘違いさせられることもなくなりました。

 

今は、本当に必要な時に必要なだけ摂取することができていると思います。物に対しても同じです。

 

メリット3:情報に左右されなくなった

テレビから一方的に与えられる情報に影響されることもありました。何も考えてないからいいカモでしたね。

 

今は余計な情報が入ってこないので、情報過多で迷子になる、なんてことはありません。

 

必要な情報は本やネットから、自分で考え、自分で選択して、自分で集めます。受動的な情報の受け取りではなく、能動的な情報の取得では、全く違ったものになります。

 

受動的な情報の受け取りでは、自分の意志と考えがない状態で、発信者の考えだけが押し付けられるので、同じ情報で違う考えを押し付けられると、どっちが正しいの?!どっちをすればいいの?!と迷子になってしまうのです。

 

能動的な情報の取得では、自分の意志と考えがしっかりあった上で、より確実な情報を求めているので、色んな情報が錯そうしていても、自分の軸はブレることなく、自分の中で情報を選択し、整理し、納得いく結論を自ら導くことができるのです。

 

とまあ、偉そうに書いていますが、私はずっと前者の迷子の人だったのです。だからこそ、情報に振り回されるのではなく、使える人にならなければいけないと身に染みてい分かっています。

 

情報過多の今の時代だからこそ、取得方法はできるだけシンプルに。そして自分の目で確かめること。

 

テレビ依存ではなく非日常依存だった

私の場合、自分の日常を「常にストレスのあるしんどい時間」と位置付けてしまっていたので、無意識のうちに「ストレスのない楽な時間」を非日常に求めた結果、一番手軽で身近なテレビがその対象となったわけです。

 

自分の日常がどんなに大変な状況であっても、ひとたびテレビが映し出されると、そこには私とは関係のない非日常の世界が広がっています。

テレビは私の頭の中をからっぽにしてくれ、何も考えないようにしてくれ、日常を忘れさせてくれました。家にいながら、簡単に非日常の世界に連れて行ってくれるのです。

まさに、心の友!

ではなく、私の時間をテレビに搾取されているだけでした。その間、私の頭はからっぽで日常の世界にいないわけですから、今を生きていなかったのです。

なんてもったいない時間を過ごしてきたのでしょう。

これは私の視聴の仕方にも問題がありました。毎晩ダラダラ無駄に目的なく。ネットサーフィンならぬ、テレビサーフィンのような状態です。しかも頭の中はからっぽです。

 

 

例えば朝ドラを見る、この番組だけは、この試合だけは、と、目的ある視聴の場合とは全く違うケースです。

 

だから、対象がスマホであってもよかったのです。スマホはテレビより手軽なので、日常と非日常の行き来が頻繁になることで、さらに依存度が高くなっていたと思います。

スマホに依存しなかったのは、元々SNSには全く興味がなかったのと、子供の前では意識してスマホを見ないようにしていたからだと思います。

 

私の場合は、テレビ依存というより、非日常依存だったと思います。だから、日常から逃げたいようなことがなくなった今、テレビという非日常の世界に頼る必要がなくなったということです。

 

テレビは今のところ処分はしない

見ないならいっそ処分しては?という意見もあるかと思いますが、子供が週末たまーに、録画してあるポケモンや宮崎アニメ、ディズニー映画を見ることがあります。

 

ちなみに今回のオリンピックは羽生選手の演技だけ動画で見て、あとはネットニュースで見て満足しました。でも東京オリンピックは子供と一緒にテレビで見たいと思うかもしれません。

 

そういうわけで、たまにしか出番はないけれど、テレビはまだまだ処分することはなさそうです。 

 

 これくらいのゆるさが私にはちょうどいいようです。