風のある暮らし

東京から見知らぬ田舎へ。更年期の母ひとり、思春期の子ひとり(中学男子)の暮らし。

何度も裏切られたのに期待した自分。愚かなのかおめでたいのか

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私はすっかり過去のこととは折り合いをつけれていると自分では思っていました。でも今回の父との言い合いのことで、あれれ?と思うほど、あっさり自分の防波堤が崩れてしまい自分でも戸惑ってしまいました。

期待と裏切り

もしかしたら少し近づきすぎたのかもしれません。1年に1回会う程度が、私にとっても父にとってもちょうどよかったのかもしれません。

 

子供がいなければ、母が亡くなった時点できっとまた絶縁状態になっていたと思います。とっとと過去を手放し、自分を解放し、父とは一切関わることのない世界で生きたと思います。

 

でも私のところに子供がやってきて、父と私は、子供のおじいちゃんと子供の母親としての新しい関係が生まれました。私の意識も変わりました。

 

母が亡くなったことで、全く興味を示さなかった孫に興味をしめすようになり、かわいいとさえ思ってくれるような奇跡がおこり、私はとうの昔に捨てたはずの欲をだしてしまったのだと思います。

 

小さな欲が期待を生み、小さな期待が確執を生み、小さな確執の積み重ねが、やがて大きな軋轢を生むということを私は何度も嫌というほど味わってきたはずなのに。

 

父は父であって父ではない、と分かっていたはずなのに。それを受け入れた最終ステージに私はもういけた。もう大丈夫。と思っていたのに。

 

うっかり、本当にうっかり油断して、期待という名の甘い誘惑に負けてしまった。そしてまんまと裏切られたというだけの話なのです。

 

許すとは 

父との絶縁状態が10年以上続いていた時、母に数年にわたってお願いされ続けたことがあります。

 

『お父さんをどうか許してあげてほしい。お父さんは謝ることができない人だからあなたから歩みよってほしい。あの人は昔のあの人じゃない。もう変わったから。』

 

そんなことを軽々しく言う母にも腹が立ちました。

 

『許す?!許すなんて絶対にできない。絶対に無理。一体何を言ってるの?!』

 

そのころの私は父に会うのは、母が亡くなった時か、父が亡くなった時のどちらかだと本気で思っていました。

 

でも何度も母に泣かれ、もしこの状態で母が亡くなってしまったら、私は後悔するかもしれないと思うようになりました。なので母だけのために、私は父に歩みよることにしたのです。


歩みよったものの、父を許せない自分がまた自分を苦しめました。関わらなければ思い出さなくてすんだことが、関わることでふさがっていた私の傷口が開いてくるのです。許せない自分がいけないのか。許すとはそもそもどういうことなのか。

 

あぁそうか。自分と父との関係を許す許せないで考えるから話がおかしくなるんだ。許せなくていいんだ。許せない自分でいいんだ。

 

でも、父が父という人間として存在していることを認めよう、今この世にいる父の存在を認めよう。そう思えたことで、私は自分を苦しみから解放したのです。

 

私が父にどんな思いを抱いて生きてきたか、今どういう思いなのか父には一生分からないでしょう。そもそも自分がしてきたことをきっと覚えてないんですもの。

 

私は私で、父のことを一生理解できません。でもそれでいいのかもしれません。いえ、私と父の場合はその方がいいんだと思います。

 

大事なのは分かりあうことではない 

私と父では今も生きている次元があまりにも違うのです。なので分かりあうこと、理解しあうことができなくて当たり前なのです。しようとするから苦しむのです。

 

ぶつかり合ってお互い血だらけになったとしてもその先にお互いを認め合える関係になれる場合と、ただ血を流すだけで傷が広がるだけの結果になる場合があります。

 

やみくもに『分かり合おうとする』ことだけが正しいわけでも全てでもありません。分かり合えないままでいいこともあるのです。相手の存在を認めることだけに注力した方がいい場合もあるのです。

 

そのことに30代の私は必死にもがいてやっとたどり着いたはずなのに、40代の今、またそこに戻るという、まさかの再現状態。子供の存在が、娘としてではなく母親としての欲を引き出させたのでしょう。

 

結婚生活も含め、かなり荒行を積んだと思っていましたがまだまだでしたね。欲だらけで煩悩だらけです。

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 花に癒されよう・・・そんなに興味もないくせに。

 

子供のおじいちゃんとして父は必要な存在

でも。それでも父は変わりました。昔の父に比べたら別人レベルです。昔の父のままだったら子供に会わせることは不可能だったと思います。

 

今も過去のことは許せません。でも、過去に抱いていた父への激しい憎しみや恨みという感情は今の私にはありません。

 

子供はおじいちゃんが大好きです。子供のおじいちゃんとして存在し、生きてくれていることだけに感謝できるよう努力しようと思います。

 

子供が私の元にやってこなければ、とっくに切れていただろう父との縁が、子供の存在でまた別の形でつながったのです。

 

子供にとっては唯一のおじいちゃんです。子供からそれを奪わないよう、この縁を切らないよう、欲と煩悩と戦うことにします。孫をかわいいとほんの少しでも思ってくれる。それだけで充分。と唱えることにします。

 

戦いに負けたらすぐここに書いて発散して、また修行に出ようと思います。そのときはみなさん、どうぞおつきあいくださると嬉しいです。