風のある暮らし

東京から田舎へ。子供と2人でのんびり暮らしています。

心を病んだ母との確執。中学・高校は暗黒の時代でした(5)

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現実は予想以上に厳しかった大学受験受験失敗という文字が頭の中でぐるぐる回ります。けれど、失敗したその先のことは考えられるような精神状態にはありませんでした。

 

合否の結果 

前の記事の通り、女子大は合格しましたが、母に『名前書けば受かるよね』と言われるような大学で、私自身もいまいちな印象の大学に前のめりで行く気分にはなれません。

 

その次の合否結果は、父と母が一番私に行ってほしかった大学。まあまあ有名な大学。学部も複数受けました。

 

はい。全落ちです。

 

 まぁ。なんの手ごたえもなかったので、当たり前なんですが。

 

その後も順調に不合格のお知らせが続きます。受けた分だけ不合格をつきつけられる状態でもはや再起不能な私。怒り狂う母と私を視界にすら入れたくない様子の父。合格は両親のおかげ。不合格は私のせい。仕方がありません。

 

あと残すところ1大学。もうあのよく分かんない女子大に行くしかないのか。そうぼんやり思っていました。

 

なぜなら最後の大学は、時間が足りなくて一番準備不足だったところ。過去問もやってなければ、唯一この大学で出題された小論文対策も全くやっていない状態で受験。どこよりも手ごたえのなかった大学なのです。

 

合否は郵送で送られてきました。ん?・・・分厚い・・。今までのペラッペラだった合否結果とは明らかに違う郵便物。震える手がおそるおそる中を開けてみると。

 

・・・・・・・・・合格!!

 

ええっ!嘘でしょ?!なんかの間違いでは?!何度見直しても間違いなく私の名前。信じられない。信じられない!!信じられなーい!!!!

 

今でもここに拾われたのが謎でなりません。採点ミスを疑ったほど。私の執念で採点が操作された?とかちょっと本気で思うほど。

 

とにもかくにも合格です。さて。父と母はどんな反応をするのでしょうか。女子大でもうだいたいは予想はついたので、心の準備はできていました。

 

父の反応

 「私はお前がここに合格すると分かっていた。だからリストに入れたんだ。やっぱり私の選んだ大学に間違いはなかった。」

  

・・・・・・・・・・えすぱー?!えすぱーなの?!

 

すごいわ。分かってたならもっと早く言ってほしかったわ。もうなんでもいいわ。とにかく合格したのは全部あなたの手柄ですものね。

 

母の反応

「そんなところ私でも受かるわ。そんなところにお金払うなんてもったいない。」

 

・・・・・・・・・・ここもだめなの?!女子大だけでなくここも?!

 

母が行ってほしい大学ではなかったことに驚き。そうはいってもここもリストにしっかりのっていた大学です。今さらそんなこと言われても。ほんとに”私でも受かる”のかよ!じゃあ受けてみろよ!イライライラ。ムカムカムカ。

 

私「でもリストにのってたから、お母さんも分かってたよね?お父さんとお母さんで相談して決めたんでしょ?!言ってることおかしいじゃん!なんで私が責められなきゃいけないの?!あんたたちが受けろって言ったんじゃん!」

 

母「相談じゃなくてお父さんが決めたのを私は見ただけです!私は女子大とその大学は最初から嫌だったの!私が行ってほしかったのは〇〇と△△なの!!!!そんな大学には行ってほしくない!!!!」

 

・・・・・・・・・・はぁ・・・。そうですか。もうどっちもどっちですよ。なんなんだよ一体。

 

合格=おめでとう。じゃない

最後の最後に奇跡が起こって、女子大よりは行きたいと思える大学に合格しました。(失礼な話ですね)でも、結局最後まで私は両親に「おめでとう」と言われることはありませんでした。

 

私にとっては奇跡の合格でしたが、両親にとってはさほど喜べるほどではないレベルの大学だったのでしょう。何度も言いますが、両親が行ってほしい大学は全落ちしましたから。

 

私も別に「おめでとう」と言ってほしかったわけではなくて。でも。普通「おめでとう」だよね。それって合格した人への挨拶のようなもんだよね。勝手に口から出ちゃうくらい当たり前の言葉だよね。

 

でも。絶対言わないんだね。言いたくないんだね。めでたくないんだね。結局は、結果がすべてであり、両親が期待する結果をもたらせられなかった私のことをどうしても認められないんだね。という結論に達しただけでした。

 

自立への第一歩

まぁでも。そんなことはもうどうでもいいのです。両親が受けろといって受けた大学に合格したのは事実です。両親はめでたくなくても、私はめでたいのです。もうこの人たちとはおさらばなのですから。やっとやっと解放されるときがきたのです!

 

両親はもちろん、地元の友達や地元の何もかもすべてになんの未練も寂しさもありませんでした。1mmたりとも後ろ髪を引かれないほどの清々しさでいっぱいでした。

 

あるのは未来への希望だけ。新しい土地での新しい生活だけ。生まれ変わるくらいの気持ちで私は新天地へ向かいました。   おわり。

     

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            今日もまた道なき道をゆく。家はそっちじゃないぞ~

 

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ここまでダラダラと続く母との確執を読んでくださってありがとうございます。全然風のある暮らしブログじゃなくなっちゃってますね・・・。

 

しかも、母の話を先に始めてしまったら母だけの話では展開できずに、途中から父との話もごちゃまぜになってしまいました。過去の話はまとめるのが難しいです。

 

母とは高校卒業するまでこんな険悪な仲でしたが、私が大学生になり、社会人になる過程で少しずつ変化がありました。

 

それでも長年にわたって生じた軋轢がなくなるわけではありませんでしたし、私が母を受け入れることができませんでした。

 

最終的には私が30歳手前ごろに1年くらいかけて母とガチ対峙をしたことにより、母との関係が全く違ったものになりました。

 

血を流しあうくらいの本気の対峙が私と母には必要だったということです。このことがなければ私はもしかするとまだどこかで過去に囚われて生きていたかもしれません。あの時逃げなくて本当によかったと心底思います。

 

このお話もいつかまた書けたらと思います。元気があるときに。