風のある暮らし

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玄米中心の健康志向な食生活(1)幼少期から続けたら体はどうなる?

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今でこそ確固たる地位を築いている「マクロビオティック」や「玄米菜食」といったスタイルですが、40年前はあまり認知されていなかったのではないでしょうか。

 

幼少期から高校卒業まで、玄米中心の食生活で育った私が果たして健康になったのかというと、大病はしませんでしたが、健康的な体になったとは言えません。

  

 一方的な玄米食宣言

「今日からうちは玄米だ。卵も牛乳も乳製品は一切使うな。肉も食べない。週に1度さだけ魚はよし(白身か赤身か不明)。外食はしない。」

 

ある日突然、父が高らかに宣言したそうな。

 

という話を、私は30歳すぎてから母と二人でお茶しているときに聞きました。

 

ある日突然、なんてことは実際はなかったとは思います。でも母にとってはそれくらい衝撃的でもあり一方的でもあったということです。

 

「豆腐も家で作れ、なんて言い出すし、なんで私だけこんなに大変な思いをして料理しないといけないのかってあの頃は本当に辛かった。」

 

30年の時を経て、初めて母の本音を聞きました。ノリノリだったのは父だけで、実際に料理を担当する母は、嫌々渋々だったわけです。

 

てっきり母も父と同じ志を持ってあの食生活を始めたと思っていたので少しびっくりしました。 実家の食卓の変換期は、私が幼稚園児の時だったので、私は全く覚えていないのです。

 

父の一方的な宣言のわけは、そのころの父は体調を崩していて、色々調べているうちに「食事改善」にいきついたとか。分かりやすい導入きっかけですね。

 

「やるからには徹底的に。ストイックに。」がモットーな父に、”妥協”や”例外”は存在せず、この日から母の孤独な闘いは始まったというわけです。

 

今ではマクロビやビーガン料理のレシピもたくさんありますが、当時はそういった情報はないに等しく、当然まわりにそんな食生活を送っている人もおらず、母はかなり苦労したようです。

 

姉の誕生日に一度だけ豆腐を使ったケーキも作ったらしいですが、姉いわく、「自分の誕生日なのに泣きたいほどまずかった。よっぽど冷ややっこで出された方が嬉しかった」という、違う意味で忘れられない思い出になっているようです。

 

私も子供の誕生日に豆腐クリームでデコレーションした、卵も乳製品も使わない米粉のくまさんケーキを作ったことがありますが、それはレシピがあったのと、昔なら手に入りにくい材料も今なら簡単に手に入るようになったからです。

 

今とは違う手探りの状態での玄米食生活。そんな食生活を望んでいないまま料理をしないといけないことは、母にとってかなりのストレスだったんじゃないのかなと思います。

 

ウエストが太ももサイズ

私も姉も小学生時代~高校卒業まで、細いというか華奢というかペラペラというか、とにかく痩せていました。

 

私は高校生になっても小学校の制服のスカートをはいていくこともありました。ウエストは小学校のころと変わらず、ひざ上が流行っていたので長さもちょうどよかったのです。当時はまだギャルも存在してませんので、気持ちひざ上という程度です。

 

身長は意外にも二人とも160㎝すぎまで伸びました。乳製品と身長は関係ないようですね。

 

疲労に悩む

私も姉も血液検査で貧血と診断され、乾燥プルーンを食べていました。

 

私はとにかく体力がなく、すぐに疲れる老婆のような小学生でした。自分が疲れやすいと自覚したのは小学生高学年です。友達と遊んでいると、夕方あたりから血の気が引くように疲弊していくんです。

 

皆元気なのに、どうして私だけいつもこんなに疲れるんだろう。そう不思議に思うくらい体がしんどくなるのです。

 

鏡を見ると、小学生なのに目の下にクマまで出現します。ただ遊んでいるだけなのに。このころの「なぜ?」の感覚は今でも覚えています。

 

貧血で疲れやすくて体力がないのは、後々社会人になるまで引きずることとなりました。

 

一番大事なのは何を食べるかではない

問題はひとつではなかったと思います。消化の悪い玄米を幼稚園児から1日2食~3食を毎日食べ続けたこと、食べ合わせや私と姉の元々の体質的なこと、成長期に必要な栄養素の不足、いろいろな要因が関わった結果だと思います。

 

そういった要因とは別に、とても大事なことがふたつ。それは作り手である「母の気持ち」と受け手である「私の気持ち」です。

 

料理は作り手の思いがこもるものだと思うのです。面倒くさいな~しんどいな~と思いながら作ることも誰しもあると思います。

 

でも、おいしくなるのを願いながら自分が食べたいものを作ったり、家族が喜ぶ顔を思い浮かべながら作ったりすることが、大前提にあるのではないでしょうか。

 

私の母は作りたくもないものを作らされていました。しかも1日たりとも手を抜くことを許されませんでした。

 

今思うと、台所に立つ母はいつも大変そうでイライラしていて、ちっとも楽しそうではありませんでした。その母の思いが料理にこもってしまっていたのでは、と思います。

 

そして受け手である私は、母の料理が好きではありませんでした。正直言うと、おいしくなかったのです。でも食べないことは許されませんでした。

 

嫌々料理したものを嫌々食べる。

 

誰も幸せな気持ちにはなりません。父以外は。こんな状態では、体にしみわたる栄養も半減するのではないでしょうか。

 

食事は、食材だけではなく、作ってくれた人の思い、食べる人の思い、それをまとう空間、全てが一体となって始めて体の中で血となり肉となり、生きる糧になるのではないでしょうか。

 

私の実家は、食事内容にばかりに気をとられて、大事なものを見落としていたと思います。

 

一番大事なことは、何を食べるのかではなく、どう食べるのか。

 

この食生活は自分が望んでいることか?

 

この食生活を相手に強制していないか?

 

この食生活は幸せか?

 

今もたまに自問自答します。

 

今回の話はあくまで私の体験話です。マクロビやビーガンで、元気に健康に育っている子も実際にいるので、その食生活の是非を問う話ではありません。

 

色んな食生活があっていいと思います。大事なのは、一緒に住んでいる人を見ること。自分を見ること。だと思います。

 

 

次回は私の給食の話をしたいと思います。よかったらまた読んでいただけると嬉しいです。

 

aokamizu.hatenablog.com