風のある暮らし

東京から見知らぬ田舎へ。更年期の母ひとり、思春期の子ひとり(中学男子)の暮らし。

僕のこと面倒くさいと思ってるでしょ?と子供に聞かれたら

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うちの子供はもうじき小学4年生になります。こちらがびっくりするような大人な言動をしたかと思ったら、保育園児ですか?!と思うような幼さを感じさせる時があります。

 

子供がいじけるとつい言ってしまうこと

 私に叱られてもケロッとしているときが多いのですが、何かのきっかけで、たまにグジグジウジウジイジイジといじけたり拗ねるときがあります。

 

そういうときってもうほんっとうに面倒くさいのです。小さい時なら『はいはい、いじけちゃってかわいいね』という気持ちにもなれましたが、もうすぐ小学4年生の子供のいじけがかわいいとは思えないのです。どういう展開かというと、

 

子『じゃあもうやらない。もういいっ!』

 

母『いやいや、ダメとは言ってないじゃん。やってもいいけどこっちにしてって言ってるだけでしょ。』

 

子『もうやる気なくなったしいい』

 

母『なんでそうなるわけ?!』

 

子『やらないからもういいの!』

 

母『ほんっとさー、その0か100かっていうのやめてくんない?!』

 

険悪ムード充満。

 

とまあ、こういうことになります。それが『僕、食べない!』『僕、行かない!』バージョン、わざとゆっくりちびちび歩いて『僕、拗ねてますアピール』もあったりするわけで。そういうときはもう頑ななわけで。

 

子供の存在を否定する言葉を言ったことはないと書きましたが、こういうときに思わず出てしまう言葉はどうしてもあります。

aokamizu.hatenablog.com

 

『はぁ~面倒くさ。あ~面倒くさったら面倒くさ~!』

 

お互いを尊重どころか、そもそも言霊を意識するっていうのはどこいった?状態です。で、どうなるかというと、

 

『どうせ僕は面倒くさいもん!』グジグジウジウジイジイジ、倍増。当たり前ですが逆効果です。

 

親だって感情をだしてしまうことはある 

このあいだ、子供が拗ねモードに入ったので、放っておいたら子供の方から確認の言葉が。

 

子「どうせ僕のこと面倒くさいって思ってるんでしょ!(涙声)」

 

こんなとき、優しい母親は「そんなことないよ」「そんなはずないでしょう」「子供のこと面倒くさいと思う親なんていませんよ」というような言葉をかけるでしょうか。

 

私「うん。面倒くさい。ものすごーく面倒くさい。」

 

俄然、真顔で肯定です。

 

これには子供も『えっ!』という顔。なのですかさず続けました。

 

私「そりゃそんなに拗ねられたら面倒くさいですよ。そりゃあそうでしょう。でも家族だから。親子だから。いくら面倒くさいって思っても嫌いにならないし一緒にいるんだよ。」

 

親子であっても他人です。他人と暮らすということはいいことばかりじゃなくて面倒くさいことも考えが合わないこともたくさんあります。

 

相手に合わせることも必要なときもあるとは思いますが、なんでもかんでも気持ちを汲み取ってあげて常に寄り添うことは子供相手でも私にとっては難しいことです。

 

親であっても、『私は今、嫌な気持ちだ』という感情を出してしまうことがあってもいいんじゃないかなと思っています。

 

「もう少し自分の気持ちをコントロールできるようになると、自分も楽になるよ。僕にはできるって思いながら目をつむって深呼吸してごらん。」といって抱きしめると、素直に深呼吸してすんなり落ち着いていくのを見ると、やっぱりかわいいなあと思います。

 

もう小学4年生。まだ小学4年生。私の母親業もまだまだ迷走しながらです。