2018-01-01から1年間の記事一覧
夏休み中に何度か作ったピザ。発酵いらずで簡単で美味しくて安上がりでしかもお腹にたまるというありがたいピザ。生地→ソース→生地成形→盛り付け→焼くという工程。盛り付けまでのんびりだらだらやっても1時間もかかりません。
元夫はインドア派でもなかったけれどアウドドア派でもありませんでした。表参道とか自由が丘とかそういう都会的な場所に遊びに行くのを好む人でした。私はそういう場所もまた苦手でしたが。なので結婚生活が続いていればアウトドアをすることはあまりなかっ…
今の私はアウトドアっぽい人っぽい人(どんな人だ)を装っています。元々はここでもしつこいくらい言っていますが、本来はインドア派という名の引きこもり体質です。
引き続き
私は”運動”と名の付く全般が苦手です。俗に言う”運動音痴”というやつです。なので「徒競走なんてこの世から消えてなくなれ」と思っていたし、体育も運動会も嫌いでした。
田舎で迎える初めてのお盆休み。東京との違いがはっきりと見てとれました。
夏休みもあと少しになりました。そろそろ宿題も終わりが見えていないといけない時期ですが、うちの子供はまだ自由研究に手をつけてないというありさま。どうすんでしょ。今週末が山場ですね。
お風呂掃除がとにかく嫌いです。でも綺麗な状態を保ちたい。でも毎日磨くなんて無理。でもカビは嫌。
ご近所さん2軒からレジ袋一杯のトマトをそれぞれいただきました。つまりレジ袋2袋分のトマト。ただいま我が家の冷蔵庫の中、トマトだらけです。
実は卵好きな私(誰も興味ないと思うけど)。ゆで卵はよく私の昼食に登場します。タマゴサンドにしたり、味付け玉子にしたり。なので3個くらいの卵をいっぺんに茹でてしまいます。
クーラーがない我が家。ここに住んでいた人は大家さんをはじめ歴代クーラーなしで生活していたようで、取り付けできるような場所も全くありません。
甘いフレンチトースト大好きです。オーブンで焼くのは暑いからという理由じゃなくて単に面倒くさいという理由。いつのころからか私はオーブンでフレンチトーストを焼くようになりました。
毎日うだるような暑さですね。うちにはクーラーがないので日中の家の中ははかなり暑くなるのですが、東京にいた頃に比べると全然耐えられています。東京の夏は日中も夜もクーラー必須でしたから。 とはいえ、この暑い中で料理するとなるとかなりつらいもの。…
今朝、連日の雨で池のようになっている庭を見て嫌な予感が。すぐさま1Fの和室をのぞいてみると…うわっ予感的中!よーく見ると青いカビが畳のところどことにコンニチワ!があぁぁん!
最近、ご近所さんから夏野菜が続々と届けられています。こんなに食べきれない!という贅沢な悲鳴の中、さらに子供が学校で育てているキュウリとシソを毎日のように収穫して持ち帰ってきます。キュウリかぶりまくりで冷蔵庫の中がキュウリだらけです。 そこで…
最後に記事を更新してから2カ月弱もたってしまいました。気づけばもう夏ですね。
父との今回の成り行きを振り返って、前から父に対してあった疑惑がさらに色濃くなりました。 実は、父はある種の精神疾患を持っているのではと疑ってはいます。
父と全く連絡がとれなくなりました。父に何かがあったわけではないと思います。なぜなら、父は父の妹と毎朝お互いの安否確認のために必ず電話しあってるからです。妹さんが父と連絡がとれなければ私に連絡がくるでしょう。でもきてないので父は妹さんとは連…
GWですね。できればあまり混雑したところへは行きたくないのですが、思い立って遠方のお友達に車で会いに行ってきました。
私の実家は母が物を捨てられず片づけも全くできない人でした。常に雑多なもので溢れかえり、どこに何があるのか母も把握できないような状態。
世の中、断捨離ブームを経てただいまミニマリズム?ミニマリスト?というカテゴリーが大人気のようで。私も基本的には物を増やすのもためこむのも嫌い。ついでに掃除も嫌いなので、できるだけシンプルな生活空間で暮らしたい派です。
知らず知らずのうちに、子供を”自分が好きな子供”に近づけようとしてしまうことが私にはありました。今は自覚しているのでずいぶんマシになりましたが、子供がもっともっと小さい頃は”大人の好む子供らしい子供”を子供に求めていました。
男の子が子供の頃に好きなタイプの女の子って、やっぱり大人になっても変わらないままなのでしょうか。なんて。昨日までドロドロした記事書いておいて、突然なに乙女ちっくな気持ち悪いこと言ってんでしょう私。って感じですが。
現実は予想以上に厳しかった大学受験。受験失敗という文字が頭の中でぐるぐる回ります。けれど、失敗したその先のことは考えられるような精神状態にはありませんでした。
両親が全て決めた大学を言う通りに受験した私。滑り止めとして受験した聞いたこともない女子大に合格したときに、彼らの言動にはもう慣れていたはずの私でも驚くような言葉を聞かされます。
大学受験を決めた高2の夏。塾も家庭教師もいない、完全独学スタイルです。スタートも遅ければ、攻略もままならず。でも、”この家を絶対出ていく”というやる気だけはみなぎっていました。
私の父は超学歴主義です。学歴のない人間は”クズ”とみなすような人で、交流があるのも高学歴の人達ばかりでした。母は父に完全に感化されつくしていたので、母も同様の考えでした。そうなると、〇〇家の人間たるもの、当然”大卒”という肩書は必須となるので…
中学・高校のときも、家族でのいい思い出はひとつもありません。家で笑ったこともないですし、自発的に言葉を発することもありませんでした。常に”無”でした。表向きは反抗期と同じようで、実際は全く違う種類のものだったと思います。
私が小さい頃は優しくて大好きだった母が、父と曾祖母の攻撃でだんだんと心を病み、まるで別人になってしまったというお話の続きです。
私が小学生になる少し前から、母の心は少しずつ壊れていきました。今では母が病んでいたんだと理解できますが、その当時の私は、別人のようになっていく母を受け入れることができませんでした。